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大栄総業物語

上信越道 横川サービスエリア 屋根施工

大栄総業物語

そもそものはじまり
(もうすぐ創業100年の歴史)

創業者


上原米吉 松井田町 細野村で生まれる(くめさんと呼ばれ親しまれてきました)
米工業という名で創業しました

祖父

建築業は もとより土木業 材木業といろいろな事業を手がけてスタートしました
また、細野村会議員にもなり、村長選選挙にも立候補したそうです ですが、土木業で川の橋を2か所手がけておりましたが、
大型台風により川が増水し工事中の石などの建築資材がほとんど流されてしまったそうです 当時は工事中の工事責任保険なんていうものはなく、
山や田畑を手放し、大変な思いをしたそうです。 住宅建物の作品も残してくれました その頃の道具は全て手作業で、

たとえば、ひょうし木やハサミ・かたな刃などを使っていました。 大変な労力だったそうです。

2代目

父親麻次(麻吉ちゃんと呼ばれ親しまれてきました)
屋根工事業をはじめとして高度成長期の時代にのり
総合建築業(株)大栄総業その中でも住宅をはじめレストラン建築・
ドラィブィン建築・商店建築・ガソリンスタンド建築など数多くの作品を残してくれました
また、鉄骨工事業部や大型クレーン事業部や木製建具工事業部・飲食業等にも携わりました
しかし、オィルショックが訪れ、会社は建築資材の高騰により大変だったそうです

2代目の頃の道具(昭和30年代後半)

地域のお客様に支えられ手動が主流の時代でしたが昭和30年代に新しい洗濯機が発売されるようになり、
そこからモーターを取り出し手動の機械を電動機械化にして一世風靡したようです

3代目

(長男)弘和
昭和44年松井田町に生まれる
元松井田町長 武田弘氏に命名をもらい弘和と名前を付けていただきました
幼少の頃は、親父の仕事の忙しさを見てきて、同じ仕事をしようとは思いませんでした、
しかし20歳頃に一度は東京に出ましたが、実家に戻り一緒に仕事をするようになりました
そして、屋根工事を主流として住宅建築・飲食店建築・美容院建築・新築住宅・リフォーム工事等の色々な、
仕事を教わりました当時は眠るのもおしみ徹夜で仕事をしてきました しかし、平成7年に当社、
工場が放火され機械や建物が全部焼かれてしまいました また、2代目の父が50才で他界しました
しかし、色々な方の協力により当社も再建できるようになりましたが、
しかしまた移転した数年後の平成12年に今度は近隣からのもらい火の火災で工場・機械・事務所大事な書類
など全部なくなりました
それでも、また色々な皆さんのご協力や励ましで再建する事が出来ました 感謝です

その後、群馬県や安中市の公共工事にも参入し、総合建築会社として工事を請け負ってきましたが、今は98%が一般のお客様です
私は電動機械の導入が好きで、あらゆる手動の機械を電動化にしました
今では屋根材料や屋根取付け役物は、当社で製造や販売及び社員の責任施工になっております

平成31年より群馬県や安中市の公共工事の建築請負を会社の方針できっぱりやめて、
さらに一般のお客様へのサービスをさらに充実していきたいと思います また、金属屋根や外壁材・瓦など直接メーカー様との取引もできるようになっておりますので、コストも下げるよう努力をしています

・当社の設備と材料を来て・見て・さわってくらべてみて下さい

・社屋の屋上からの妙義山、また浅間山は大変美しいです

・当社の場所は、武田信玄と勝頼の歴史ある酒盛城あとです すばらしい景色を観にきて下さい

・郷原18号線北側 コーヒーカップが目印です

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